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by Michiko Tsuneda
ウィスコンシン大学マディソン校

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ジェンダーから見た越境:  タイ南部国境地域ムスリムコミュニティーにおけるジェンダーと人口移動

 

国境域の人口移動とコミュニティー

「昔は今とは逆さまだった。マレーシア人がここに仕事を探しに来た。今ではここの誰もがマレーシアに働きに行く。」ナラーティワート県のタイーマレーシア国境検問所から何キロか離れた調査対象のコミュニティーで、私はこの言葉を数え切れないほど耳にした。トーマス・フレイザーは、南タイにおけるマレー人コミュニティーに関する民族誌を初めて記したが、そこに簡略に記されているマレーシアへの人口移動は、漁村の男性グループの季節農業労働についてである(1960,86)。それから半世紀、スンガイコロク付近の私のリサーチコミュニティーにおいては、男性のみにとどまらず若い未婚の女性がサービスセクターでの長期の働き手としてマレーシアに向かっている(Thaweesit 1984; Dorairajoo 2002)。今日においては、マレーシアで働く男性は、自らの仕事を経済的な必要性から故郷を離れて行なう一時的な活動とみなしている。それに対し、若い未婚女性は、マレーシアでの労働に人生の新しい可能性を見出そうとしている。特に婚姻を通じ形成された二国にまたがるネットワークは、社会的に見てかなりの重要性を持っているが、その中で女性の果たす役割は重要性を増しつつある。

ナラーティワート県は、タイ最大のムスリム人口を抱え(Thailand 2003)、また南タイでの最貧県の一つでもある(Bank of Thailand, 2001)。国境付近の人々の多くは越境貿易に従事しているが、資本の欠乏のため、貧困な村人らは合法、違法を含めた通商がらみの低賃金労働に甘んじざるを得ない。私のリサーチコミュニティーの住民の多くもまた、近隣に位置する国境付近の都市において雇用口を求めているが、この地域の経済は下降気味であり仕事を見つけるのは容易なことではない。過去2、30年の間に以下のような事態が増加しつつある。タイ南部国境地域のマレー系の民族的バックグラウンドを持つムスリムが、より高賃金な職につく可能性の高いマレーシアに向かっているのである。リサーチコミュニティーにおいて私がインタビューを行なったうち、約70パーセントの世帯が、マレーシアで働いた経験のある家族を一名以上持ち、20パーセント近くが、マレーシア人と結婚した家族を一名以上持っている。インタビューを受けた70歳以上の人々のうち、マレーシアでの居住、労働経験を持つのは僅か8パーセントのみにとどまっているのに対し、40パーセント近くに及ぶティーンエージャーと20代がマレーシアでの労働を経験している。タイの南部国境の人々にとって、国境を越えた社会関係は長く日常生活の一部であったが、国境横断の増加とパターンの変化は、これらのコミュニティーの社会的土壌を変化させつつある。



 

「家にいる方がいい」:男性と国境横断

南タイにおけるマレー語ムスリムコミュニティーの男性は、女性と比較してより大きな移動と意思決定の自由を持っている。女性は男性に許されている、より大きな自由を我が物にしたいと切望しているが、多くの男性にしてみれば、今では女性の方が自由だと憤ることになっている。「昔とは違って女もかなり暮らしやすくなっている。」と、50代のやもめであるポー・スローム は語る。「縫い物をしたり、市場で物を売ったり、家の中での仕事をすることもできる。でも [タイにいる限り] 男には仕事がない」。雇用の不足は慢性的であり、男が大黒柱であるというジェンダー上の理想(このことは実際の家計上の現実に常に反していると言ってよいが)があるため、多くの男性はマレーシアに出稼ぎに向かう。自国のコミュニティーにおいては、自分たちは人並みの自由をもっているという意識を持つことが可能だったが、国境を超えた場合そういった感覚は失われがちである。そのため男たちはマレーシアでの体験を否定的な目で眺めるようになっている。

マレーシアに向かう中年男性は主として建設作業に従事するが、ティーンエージャーや20代の男性にはレストラン、工事現場、工場などの選択肢がある。村人の多くは、ツーリストビザを持ってマレーシアで働いている。多くの場合、彼らは1ケ月ぶっ通しで働く。1日の労働時間は10から12時間のワークシフトによって組まれ、休日はない。その後タイに何日か戻ると、またマレーシアに向かう。彼らに労働許可を取ってやろうとする雇用主は多いとはいえず、1990年代末期から厳格さを増すマレーシアの入国管理の下で、労働者たちは逮捕の恐怖を抱えながら暮らしている。南タイのマレー語ムスリムコミュニティーのメンバーは、マレーシアでの生活の中で「外国人」に対する差別を目の当たりにするにつれ、自分たちはタイに帰属しているのだという意識を強めている。

 

 

マレーシアのタイ料理店での働き手が集住する一角にはタイの雑誌やポップミュージックのカセットテープが積み上げられている。タイのソープオペラがマレーシアのテレビに映し出されると、レストランのタイ人従業員は番組が終わるまで固唾を呑んで眺めている。タイの故郷にいる時は殆んどマレー語を使っている彼らは、仲間内で話す時、特にマレーシア人の顧客について話す場合、しばしばタイ語を用いる。労働者らは、タイからやってきた雇用主を好み「マレーシアの雇用主は金のことばかり考えている。こっちのことは分かっていないし何が問題なのかも知らない。でもタイ人の雇い主は何と言っても同じ種類の人間なんだし、こっちのことを理解して助けてくれる。」と語っている。マレーシア人がしばしばタイ人労働者の不信を買うのは、不公平な外国人扱いと、逮捕された際に助力してくれない、ということからきており、この点が「故郷」タイの雇用主と違う点だとみなされている。

こういった形の労働は次第に顕著になりつつあり、そこにおいては自分は何者なのか、という問題が外部との関わりの中で常に心の中で問いかけられている、という点をサービスセクターでの労働に関する諸文献が示している(Adams and Dickey 2000; Hochschild 1983; Parrenas 2001; Paules 1991)。レストランや家内労働のような個人間サービス業において、労働者と顧客間の相互作用は、労働活動の核をなしている。それによって既存の上下関係が再生産され、また新たな社会的境界が生み出される。タイ出身でマレー語を話す労働者にとって、マレーシア人に囲まれる中で自らの「タイ人」アイデンティティを強調するという行為は、自分たちはマレーシア人の劣った「奉仕者」ではない、と主張する一種の抵抗なのかもしれない。

こういった状況は、男女ともに等しく当てはまる。が、男性は故郷のコミュニティーにおいて比較的大きな自由を享受しているため、タイを自らの「故郷」として強調したがる傾向がある。彼らによれば、「彼らの [マレーシア人の] 場所」であるマレーシアに比べ、タイはより大きな自由を彼らに与えてくれるのである。そのため、多くの男性は、ただ稼ぐためだけにマレーシアで働いている、と語っている。

「『マレーシアで働くのは楽しいし、色々な場所に行けていい金が稼げる。』と友達が言っていたから、来ることに決めたんだ。」クアラルンプールのタイレストランで働くコックは言った。「でも来てみると、『楽しいって言ったって一体どんなもんだい?家にいたほうがいいじゃないか』と思ったね。」マレーシアに来る前に、彼は家族関係を通じてバンコクの工場に仕事を見つけていた。その工場でマレー語を話すムスリムの労働者は彼と友人だけだったのだが、仏教徒であるタイ人の同僚らは彼らに対する誤解と偏見をあらわにした。にもかかわらず、金銭の問題を別にすれば、彼はクアラルンプールよりバンコクに住みたいと言う。「だってバンコクは自分の国にあるんだからね。バンコクにいれば行きたい時にどこへでも行ける。ここでは警察に気を付けなけりゃならないからどこへでも行けるわけじゃあない。だから働いたら国に帰る。退屈なものさ。」


欲望、結婚、そしてネットワークの形成:女性と国境横断

男性が「よその土地」で働くことによって受ける制約を強調したがるのに対し、若い未婚の女性は単なる金銭の獲得以上の可能性をマレーシアに見ている。以前は、南タイのマレー語ムスリムコミュニティーからのマレーシアへの労働移動は男性の独壇場であった。女性でマレーシアに行くのは、夫に伴って行くか、ブジャエ  ― 寡婦か離婚者であった。マレーシアへ行くという選択肢は、アノダロ - その移動を常にしっかりと監視されている若い未婚の娘達にはないものであった(Fraser 1960, 199; Patya Saihoo 1974, 65-73)。(このジェンダー的規範に生じた変化の開始に関する参考文献に関しては以下を参照のこと。Chavivun Prachuabmoh 1980, 176-178; Arin Sa-idi et al., 1993; Sawan Lertrit, 1992)

 

 


若い未婚の女性がマレーシアで働き始めたのは1980年代のことである。その多くがマレー人の家庭でメイドとして働いていた。彼女らの働き場所は、親戚か、さもなくば親戚を通じて知った誰かの家庭であった。こういった働き口は若い未婚の女性に経済的自立の道を開いたが、(メイドとして)家事をするようになると時間的にも空間的にも殆んど自由がなかった。後になって、多くのインドネシア人女性がマレーシアのマレー人家庭において家事労働をする使用人として働くようになると(Chin 1998)、南タイからのムスリムの若い女性はマレーシアの都市部にあるレストランや食料品屋台で働くようになった。

マリアムは30代はじめの女性だが、1980年代末に初めてマレーシアに向かった際、この変動を体験した。私立のイスラム教学校で4年間学んだ後、16才の時彼女はマレーシアで働くことを決意した。当時既にマレーシアで働いていた友人がおり、彼女たちのように大きな都市に住み稼いでみたかった。その頃、少女たちの親の多くは、娘がレストランで働くことを許さなかった。マレーシア人であろうが何人であろうが男性の関わってくる問題など、どんな困ったことに出くわすか分かったものではないとされていた。それに対して親戚や知り合いの所でメイドとして働くことは安全だと考えられていた。マリアムは母に懇願し、母のとりなしで父はマリアムの友達が既に働いている家庭でメイドとして働くことを許可してくれた。

しかし、働いてみれば自由が殆んどないことにマリアムは落胆させられた。雇い主は彼女を常に厳しく監視し、外で過ごすとアノダロなのだからふさわしくない振る舞いをするなと文句をつけた。彼女のサラリーは月200リンギットだったが「月1回の帰省旅行でなくなってしまったわ!」。そうするうちに、何人かの友達は近隣のレストランで働きだしていた。彼女にとってはその仕事の方が面白そうだったので、4回目の帰省の後、メイドとして働いていた家には戻らなかった。その代わり、友達が働いていたレストランに向かった。反対されるのを恐れて、仕事を変えようとしていることを彼女は両親に告げなかった。1ヶ月後にこのことを知っても両親は、彼女がレストランで働くことを許してくれた。このレストランが潰れるまで彼女は約1年間働き、その後すぐレストランの常連客だったマレーシア人の男性と結婚した。

マレーシア人の夫と10年以上結婚しているにもかかわらすマリアムはマレーシアの市民権を持っていない。彼女は、過去に外国人不法労働者として滞在していたことが市民権獲得を妨げているのではないかと考えている。また彼女自身も、「マレーシア人になる」のは嫌だ、自分はコンタイ(タイ人)なのだから、タイ国籍を失いたくない、と思っている。結婚を通じてマレーシアから受けうる恩恵と、夫との間にできた二人の子供に彼女は満足している。例えば、夫のコネを使って兄弟のユーソフにクアラルンプールでの仕事を探してやることができた。

マリアムのような女性にとって、レストランでの仕事のうまみは金銭だけにあるのではない。実際、マレーシアのレストランで働く女性の賃金は、男性に比べて低い。彼女たちはウエイトレスとして働いており、コックとして働く男性はその2倍の給料を得ている。このようなジェンダーの生み出す経済的な不利にもかかわらず、マレーシアでの仕事が持つ魅力は輝きを失っていない。

私の出会った南タイ出身の若い独身女性の多くは、タイ-マレーシア国境近隣のクランタン、トレンガヌ、ケダーなどにおいて、親戚や同郷出身者の下で働き始める。そこから、彼女たちはより望ましい土地、特にクアラルンプールでの職を求め、新旧の友人からなるネットワークを駆使する。マレーシアの都市部、特に首都においては、彼女達は故郷にある時に比べ大胆な装いを纏うことができる。一般的に言って、タイにおけるマレー語ムスリムコミュニティーは、露出度の高い出で立ちで派手なメイクを施した「現代的」女性は、まるで「タイ人仏教徒」のようであり、ムスリムの女性にふさわしい装いと振る舞いを無視しているとみなしている。もっとファッショナブルで「現代的」になりたくてたまらない若い女性たちは、故郷を離れたマレーシアの都市においてはマレー系ムスリムとしての信用失墜の危機に直面しにくい。タイからやってきた友達、マレーシアでできた友人らとお喋りをするための携帯電話は垂涎の的だが、彼女たちの稼ぎで手の届く物になっている。この「友達」には、時によっては男性も含まれている。多くの女性はタイに帰省する際に、経済的な貢献を通してよき娘の役割を果たすのだと語っている。また、女性に対して課される道徳的基準を越え「過ぎ(べバス)」ているのではないかという疑いを打ち消すため、その多くが、マレーシアに働きに来たのは都市や外国での「人生経験」を積むためだと述べている。

 

マリアムの例はまた、越境における注目すべき男女差をも示している。それは結婚の見込みである。タイからの労働者階級の男性は、夫にするには「低学歴で経済的に不安定」であるとマレーシア人からみなされており、マレーシア人女性と結婚する機会は殆んどない。マレーシア男性と結婚した女性に比べ、マレーシア人女性と結婚した男性は居住権を得にくいということも指摘されている。男性と異なり、若い女性にとってマレーシア人と結婚しマレーシアに居を構えることは十分あり得る将来像である。過去何十年か間にマレーシア人男性と結婚した南タイのマレー語ムスリムコミュニティー出身の非エリート女性の殆んどは、私のインタビューに対し、まずマレーシアのレストランに働きにやって来た後、そこで現在のパートナーと知り合った、と語っている。

多くの女性がマレーシア人男性と結婚してはいるが、彼女たちは、彼らがタイの出身コミュニティーの男性に比べどこを比べても素晴らしいと手放しで思っているわけではない。マレーシア人の男性が彼女たちに与えてくれるのは社会的、経済的機会、また居心地のよい生活なのである。彼女たちはムラユの民族的なつながりを認識しているが、マレーシアのマレー人とタイのマレー人の接触が増すにつれ、両者の相違が強調されつつある。目に見える形で増加している「外国人移民」とマレーシア人の結婚は、マレーシアにおいて社会的脅威とみなされている(Healey 2000)。タイ国内において、タイ人ムスリムと結婚した多くの女性たちは、国境の向こうから眺めながら、マレーシア人との結婚は危険な賭けであると考えている。彼女らによれば、マレーシア人男性は、いつも第2、第3夫人を探している「遊び人」である。タイから来た女性は「騙されて」第2夫人にされたり、新しい妻を見つけた男にいとも簡単に捨てられてしまうのだ、と彼女たちは語っている。

しかしながら、実際に多くの女性がマレーシア人男性と結婚しており、そのことを追い求めている者がいるのも事実である。マレーシアで心地よく暮らすことができ、子供によい教育を授けられて幸福だ、と彼女たちは語っている。その親たちは、経済的援助をしてくれる娘たちのマレーシアでの様子を誇らしげに語っている。また、マレーシア人と結婚した女性が故郷にもたらすのは経済的な援助のみにはとどまらない。彼女たちはタイの友人や親戚にマレーシアでの居住、労働、就学の機会を開き、国境を越えた人的ネットワークの要の役割をも果たしつつある。南タイのマレー語コミュニ

ティーは、これらの非公式で私的ネットワークに大きく依存することによって国境外での就労機会を獲得し、仲介者による搾取を回避している。彼女たちは拡大しつつある経済、社会的機会の追求に重大な役割を果たしている。

終わりに

タイの南部国境地域在住のマレー語ムスリムは、国境が存在することの弊害を蒙りつつも、恩恵もまた受けている。このことは国境地域に住む世界のあらゆる地域の居住者と同じである(Donnan and Haller 2000; Donnan and Wilson 1999)。国家の辺境における少数民族のメンバーとして、彼らは曖昧で重層的なアイデンティティを巧みに操りながら人生の航路を切り開いている。この曖昧さをどの程度有利にコントロールし利用できるかは、各個人がその地域の「力の幾何学」(Massey 1994, 149)においてどのような位置を占めているかに左右される。その上「ジェンダーによる力関係の地図」(Pessar and Mahler 2002)においては、個人の力は政治経済、司法の支配力のみではなく、様々なタイプの想像力と欲望からの影響を蒙っている。

越境はタイーマレーシアの「国境人」にとって、万能の獲得手段でもなければ、必ずしも過酷なものであるわけでもない。(Horstmann 2002; Takamura 2004)。国境付近に在住する全ての者が等しく、留まるか行くか、という「選択」を行なえるわけではなく、それはジェンダー、エスニシティー、階級の構造のどこに位置するか、ということによって決定付けられている。タイの南部国境地域におけるマレー語ムスリムコミュニティーにおいて、異なる世代、婚姻状況に属する両性は、国境地域と越境を、それぞれ違った程度と形の制限、抑圧、利得の下に経験している。

国家の管理が厳格化し、二重国籍の取得が次第に困難になるにつれ、国境を越えたネットワーク形成に女性が果たす役割は大きくなりつつある。男性の多くが、「自分のではない」土地において稼ぐための一時的な労働者として自らをみなしている。これに対し、マレーシアで働く若い未婚女性は、国境が形作る社会的な網の目を保ち、また新たに作り出している。そして、故郷における伝統的なジェンダー関係によっては指し示すことのできない新たな可能性を開拓しているのである。

 

 

参考文献

Fraser, Thomans, 1960, Rusembilan: A Malay fishing village in southern Thailand, Ithaca, N.Y: Cornell University Press.
Adams, Kathleen and Sara Dickey, 2000, Home and Hegemony: Domestic service and identity politics in South and Southeast Asia, Ann Arbor: University of Michigan Press.
Arin Sa-idi et al., 1993, “Women in Rural Southern Thailand: A study of roles, attitudes, and ethno-religious differences,” Southeast Asian Journal of Social Science 21(1):81-97.
Bank of Thailand Southern Division, 2001, Raingan Sethakit lae Kan-ngeun Phak Tai [Southern Thailand Economic and Financial Report].
Chavivun Prachuabmoh, 1980, The Role of Women in Maintaining Ethnic Identity and Boundaries: A case study of Thai-Muslim, Ph.D. dissertation, University of Hawaii.
Chin, Christine, 1998, In Service and Servitude: Foreign female domestic workers and the Malaysian "modernity" project, NY: Columbia University Press.
Donnan, Hastings and Dieter Haller, 2000, “Liminal No More: The relevance of borderland studies,” Ethnologia Europaea, 30(2): 7-22.
Donnan, Hastings and Thomas M. Wilson, 1999, Borders: Frontiers of identity, nation and state, New York: Berg.
Dorairajoo, Saroja, 2002, No Fish in the Sea: Thai Malay Tactics of Negotiation in a Time of Scarcity, Ph.D. dissertation, Harvard University.

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