東・東南アジアにおける日本の大衆文化


By Nissim Kadosh Otmazgin

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TABLE OF CONTENTS

 

過去二十年間にわたって、日本の大衆文化の産物は、東アジア・東南アジアに大量に輸出され、市場化され、消費されてきた。これらの産物の幅広いバラエティは、この地域の大都市部で、容易にアクセス可能で、特に目立つものである。たとえば、多くの香港のファッション雑誌は、日本語の原語のままであるか、広東語版であるかのどちらかではあっても、日本の雑誌である。日本のマンガ本は、韓国、タイ、インドネシアと台湾のそれぞれの各国語にあらかじめ決められた手順によって定期的に翻訳されており、これらは、東アジアのマンガの市場を支配している。日本のアニメキャラクターであるキティちゃん、アンパンマンとポケモンは、アジアのいずれの典型的都市の市場でも、ライセンス生産か、非合法かを問わず、おもちゃや文房具としてどこにでも存在している。日本のアニメーション、普通は吹き替えされたそれ、は、その分野では、最も人気のあるものである。鉄腕アトム、セーラー・ムーンそしてリピン〔『ルパン3世』のことか?〕は、香港とシンガポールのアニメを売っているほとんどの店で見られるアニメキャラクターの成功した例である。中国の大都市でもまた、現在では、快楽を追求する生活でも、政治的に受け入れ可能であり、日本の大衆文化の産物は、この国の拡大しつつある文化市場の扉を開けて、急速に国内の店頭に満ちてきている。

 過去20年間における東・東南アジアにおける日本の大衆文化の成功は、学術文献の洪水をもたらした。政治学と国際関係論の文献の中では、このトピックスは相対的に無視されているとはいえ、カルチュラル・スタディズ、人類学、エスノグラフィーの中では中心的な話題である。研究の大多数は、個別の事例に焦点を当てており、グローバル‐ローカル関係のディスコース〔言説〕との関連の中での文化的影響への聴衆の応答を強調している(Alison  2000;Craig 2000;Ishii 2001;Iwabuchi 2004;Martinez 1998; Mori2004;  Otake and Hosokawa 1998; Treat 1996)。〔これらの諸文献のなかで〕東・東南アジアにおいて新たに創出された日本の文化市場の可能性について包括的で経験的な証拠を提供した文献は一つも無いし、これらの諸問題を地域的パラダイムの内部で検討したものも皆無である。
*Nissim kadosh Otmazginは、東・東南アジアにおける日本文化の政治経済学を研究している京都大学の博士課程の大学院生である。
ここで、日本の大衆文化の普及に関する膨大過ぎる研究と、それらが提供する全ての洞察を分析することは不可能であるし、筆者は、その作業に適任でもない。その代わりに、この論説は、日本の海外への文化的拡張を分析する際の中心問題に直接触れている彼らの主な理論的・分析的焦点の幾つかに狙いを定める。その主要な目的は、日本の大衆文化を含む東・東南アジアの文化の普及を分析するための地域的なパラダイムを提出することである。


先行研究文献:何もかもグローバル

 海外での日本の大衆文化の研究のほとんどは、テキストとその表現実践を特権化する強い傾向とともに、一連の裏話的ケーススタディから成り立っている。これは、部分的には、研究分野毎の特化した関心と主題に関する包括的な経験的情報が不足しているためであると理解できる。Timothy J. Craigの編集したJapan Pop! Inside the World of Japanese Popular Culture〔『日本のポップ!  日本の大衆文化世界の内幕』〕(2000)は、その好例である。そのうちの13の論文は、日本の音楽、マンガ、アニメ、テレビ番組と映画のテキスト分析を含んでおり、残りの4本の論文が海外における日本のマンガ、アニメ、そしてポップ・アイドルの普及を論じている。

 その他の特記すべき実例はJohn Lentが編集したAsian Popular Culture 〔『アジアの大衆文化』〕(1995)とTimothy J. CraigとRichard KinのGlobal
Goes Local: Popular Culture in Asia〔『グローバルなものが地域化する:アジアの大衆文化』〕 (2002)である。これらの本の中には、それぞれに特化した日本の大衆文化の生産物と分野の分析が含まれ、コンテキストの中での物語、実践そして幅広い社会的な意味が検討されている。例えば、Asian Popular Culture
の中では、Ron Tannerは、アニメ玩具の製作、そのアメリカへの輸出、そしてこれらの玩具がどのように、より明るい未来に向けての、「もし、政府による操作でなければ、(日本)民族の好み」を反映しているかに注目している(100)。同じ本の中でIto Kinkoは、「マンガ雑誌は、女性の職業と役割、ジェンダー的力〔関係の〕構造、二重基準といった社会的現実を強く反映している」と論じて、日本における週刊マンガ雑誌の意味について探求している(134)。同じように、Global Goes Localの中でMark MacWilliamsは、手塚治虫の有名な劇画である『火の鳥』は、「日本人の宗教的狂信性への先祖帰り」を暗示していると論じている。このような傾向の、出版された実例は、他にも数多く存在している。重要な著作の中には、Martinez 1998; Mori 2004; Otake and Hosokawa1998; Schodt 1996; Treat 1996、が含まれている。

東・東南アジアでの日本の大衆文化の成功(しかし、アメリカやヨーロッパにおいてはそうではない)を説明するに当たって、何人かは、「文化的近親性」が、文化の流通の軌道を決定すると示唆している。彼らは、日本の大衆文化は、各国の消費者と容易に共鳴する、ある種のアジア的内容、もしくは「アジア的な香り」を内包していると主張している。この見方によると、文化的な融合は、地理文化的であって、単純に超国家的なものではない。東・東南アジアにおける日本のテレビドラマについて書く中で、Iwao Sumikoは、「共有されている感受性」の概念を紹介したし(1994:74)、Honda Shinoは、「東アジア的サイキ〔魂・精神〕」(1994:76)を、Igarashi Akioは、「文化的感受性」(1997:11)を取り上げている。この「文化的近親性」は、しかしながら、たとえば、なぜ台湾の若者は中国の産物の代わりに日本のモノを買いたがるのか、また、タイの学生は、表面上は「文化的に」近くないアメリカ音楽を、なぜ聴くのか、を説明できない。

 

    他の論者は、日本の大衆文化の産物は、「顔が無い」と論じた(Alison 2000;Shiraishi 2000を参照)。それは、日本の大衆文化は、非民族的で、それ故に高度に移転可能な広がりを有し、もはや「日本製」と認識されない存在であるとの訴えである。実際、アニメのキャラクターであるキティちゃん、ドラえもん、あるいはポケモン、さらには、アジアの消費者が共鳴する、生産物のなかに埋め込まれているであろういかなる種類のサブリミナルな文化的メッセージも「日本製」と見分けることは、困難である。

 その一方で、東・東南アジアの消費者は、日本に起源を持つ文化的生産物を見分けることができるように強く見える。239名の香港、バンコク、ソウルの大学生に対する一連の解釈学的質問票調査を行ったところでは1、ほとんど〔の回答者〕が、各国語に翻訳されていた場合でさえも、日本のアニメ、音楽、マンガであると同定できるというのが、私の最も強い印象の一つである。彼らは、日本の大衆文化の産物と、他の輸入された生産物と、自国製の模倣品とを区別することもまたできた。このような意味で、「日本の香り」は、「アジア」の文化的香りを含んでいるというよりも、むしろ、消費者によって認識可能で理解されている、「日本」と結び付いた特別なジャンルの表現に含まれているのかもしれない。 

 Iwabuchi Koichi(2002; 2004)は、より幅広い文化的ダイナミズムの中で「日本的」文化実践の発現を解釈する、別のアプローチを提供する。Iwabuchiは、東・東南アジアにおける日本の大衆文化の研究におけるパイオニアであり、彼の仕事は、台湾、香港、バンコク、韓国、そして中国大陸本土における日本のテレビドラマの人気の豊かな証拠を提供する。彼は、「文化的近親性」の概念は、日本の大衆文化の消費を説明するものではないという考え方を主張する。むしろ、彼は、消費者が戦略的に選択している「モダンな」アイデアを日本の大衆文化が表現している〔or代表している〕と論ずる。

 彼の著書Recentering Globalizationの中で、Iwabuchiは、日本の文化的パワーの興隆をグローバリゼーションの過程の光の中に位置づけている。彼の中心的議論は、1990年代の日本文化のアジアへの拡張は、グローバル-ローカル関係を脱中心化する力と相関している、というものである。Iwabuchiの見方では、日本のメディア会社は、西洋文化がアジアへ的に土着化された経験を輸出したのだという(20)。このようにして、アジアの大衆は、もはや「西洋」を消費するのではなく、しかし、土着化された、あるいはハイブリッド化されたそれを消費しているのである(105)。

 Iwabuchiの編集したFeeling Asian Modernities[『アジアのモダニティを感じる』](2004)は、日本文化の流通と拡大について理論化するために最近入手できる、最も洗練された企てを提供する。寄稿者の1人Lisak Yuk-ming Leungは、香港でデビューした二つの日本の人気ドラマ、1992年の『ラブ・ジェネレーション』と1997年の『ロング・バケーション』を分析している。彼女によると、日本の《がんばる》(「努力しておおいに奮闘する」)というメッセージは、「がんばるというメッセージを新たな装いのなかで具体的に表現する」日本製のテレビドラマを通じてアジアを横断する旅をした(91)。がんばるという行動は、ドラマの中の「努力しているその相棒によって勇気づけられて・・・仕事と人間関係に奮闘している」都会的主人公によって詳細に生き生きと描写された。ドラマを見た人たちは、異なる度合いで、世代の違いを越えて、がんばるというメッセージを採用した(100~102)。

 同じ本の中で、Yu-fen Koは、台湾における日本のアイドルドラマは、「モダニティに対する不安と欲求の隠されたアンビバレント」の役割を演じている(108)と論じている。このコンテキストで、日本のドラマは、台湾人が直面している「実際の人生の問題」を表現しているとされる(108)。Lee Ming-tsungの研究もまた、「台湾における想像上の異文化実践と日本を体験することは、文化的志向の転換と支配的な他者である日本による自己認識を促している」(130)と論じている。同じ本の中で、Siriyuvasak Ubonratのバンコクの研究とDong-Hoo Leeの韓国の研究は、日本の大衆文化が、「プロジェクト・モダニティ」を生産するやり方について、似たような結果を提供している。これらの研究は、文化的消費の活動と、日本文化の実践は、日本との強い自己同一化を導き、確実に全体としての東アジアの国民的ないしは地域的なアイデンティティを生み出している事をも示唆している

 以上で言及した全ての研究は、海外における日本の大衆文化の様々な活動に関係した、豊かな情報と分析を含んでいる。

 それらの究極的な重要性は、西洋のグローバリゼーションに関する理論家たちが抱いている文化的均質化の観念に、異を唱えていることにある、と私は考える。グローバリゼーションを論じる理論家たちは、ビジネスと文化のネットワークの進化が、人々の経済的な運命、アイデンティティと文化をますます作り上げつつある均質化しつつある世界を描いてきた(例えば、Druker 1993; Hannertz 1991; Huntington 1996; Kotckin 1992; Robertson1991; Schiller 1976; Tomlinson 1991; Wallerstein 1991)。全体の構図としては、超国家的な部族のようであった文化的実在が、新しいグローバルな秩序に適合するために一つの集団と化しつつあるというのである。先に言及した個別のエスノグラフィックな研究は、〔このような〕妄想への効果的な反論に寄与する、グローバリゼーションによる、おそらく均質化する方向へ働きつつある力に対する抵抗者として残る、相違の実践と文化的多様性についての豊かな報告である。

 

しかしながら、この文献の弱点は、グローバルローカルパラダイムの保持しつづけていることである。これらの研究のほとんどは、日本文化の海外への拡大をグローバルな過程の一部として見ており、日本の文化的商品がこの地域の文化地理の内部で締め付けるような循環サイクル、より深い受容、明白なインパクトを持っていることを、自分たちの〔理論を〕証拠〔立てる〕指標として見ている。彼らにとって、グローバルローカルのパラダイムは、分析の唯一の単位として使用されている;「ローカル」とは、受け取り手、そして土着化させる側としてみなされているが、日本の場合は、土着化する側でもあり、「グローバル」への媒介者でもある二つの面から検討されている。この傾向は、コンテキスト分析に取り組むより幅広い現象の一部であり、検討された文化実践にグローバルな過程の一部だというラベルを貼っている(例えば、Craig and King 2002; Hall 1995を見よ)。

 興味深いことに、東アジアにおける日本文化のあからさまな地域的な受容を強く主張する者たちでさえも、それを既成事実として扱っている。「ポップ・アジア」(Ching 1996)とか、「超アジア的な文化移動」(Iwabuchi 2004)とか、「汎東アジア的大衆文化」について記述している影響力の強い研究は、これらの現象を、東・東南アジアにおけるグローバリゼーションに等しいものとして見る傾向がある。その理由は、彼らが「地域」を、分析を成功に導く〔分析〕単位であると考えないからである。〔こうして〕分析は、受動的なものとしてだけ現象を記述する傾向から被害を蒙っている。その結果として、彼らは、文化的生産物の循環と消費を形作るなかで、地域内の諸関係がいかなる役割を果たしているのかという問いを発することに失敗してしまっている。

 この意味で、Iwabuchiは、日本の文化的な影響力は、東・東南アジアで明白で巨大であると主張する点で正しい。対比的に、多くの日本の大衆文化の産物、例えば音楽、ファッション・アクセサリー、そしてアイドル文化といったもの、は、この地域の個別的な文化地理の外側では、めったに消費者を見出すことがない(Iwabuchi 2002:47、84)。たぶんこの観察は、私たちをグローバリゼーションの前提を越えて導くであろう。


地域パラダイムへの呼びかけ

 この点で、私の議論は、東・東南アジアにおける国境を越える文化の流通を分析するための基礎として、地域的なパラダイムを建設することを試みるべきである、ということである。別の言葉で言えば、我々は、「地域的」なものを、文化が国境を越えて流通することによるプロセスもしくは、グローバルローカル関係の発現として見るのみではなく、グローバリゼーションのディスコースから自己を区別する、特別な特徴を含む分析的単位として見るべきである。

 分かりやすい前触れは、グローバリゼーションの時代でさえ、地域は、世界の政治と経済の中で重要になってきているという事実である(Hettne et al. 1999; Mansfield and Milner 1999; Mittelman 1996)。この現象を示す兆候は、ヨーロッパ連合によって達成された進歩と、同じように北アメリカ(NAFTA北米自由貿易協定) 、南アメリカ(Mercosur南米共同市場)、 アフリカ(AU,アフリカ連合)、アジア(ASEAN東南アジア諸国連合、EAEC東アジア経済協力会議)、そしてアジア太平洋地域 (APECアジア太平洋経済協力会議)で進行しつつある他の地域形成の企てである。

 東・東南アジアでは、過去30年間の経済的達成は、地域の可視性を増大させているのだが、その形成は、「市場のダイナミズム」と国境を越える経済活動とによって生み出されている。このプロセスは、公式の地域の制度化の明らかな欠如にもかかわらず継続しており、何人かの学者が主張したように、地域政策における非公式な、交渉に基づく、包括的なアプローチを重要視するのである(Castells 2000; Frankel and Miles 1993; and Katzenstin 2002)。 

 2、3の研究が、経済のダイナミズムの理由を説明しており、市場を中心にした諸過程が、東・東南アジアの地域化を推進している主要なエンジンであると示唆している(Haggard 1997; Hatch and Yamamura 1996; Katzensitein and Shiraishi 1997; Petri 1993)。世界銀行によって行われた最近の包括的な研究は、この発見を強調して、1980年代の半ば以来、地域内の貿易は、世界貿易のほぼ2倍の規模で成長し、NAFTAやEU域内の貿易よりも高い伸びを示してきているとする。世界銀行の研究によると、ほとんどの東・東南アジア諸国の間の貿易関係は非常に急激に成長しており、域内の主な〔国民〕同士の経済的な結び付きと相互依存関係は相当強化されてきた(Ng and Yeats, 2003)。

 東・東南アジアの都市部における中産階級の台頭は、もう一つの兆候である。中産階級は、東アジアにおける地域化の産物であると同時に、それに刺激を与える存在でもあり、社会の他の部分に追随すべきモデルを供給している。1980年代後半以来のほぼ10年にわたって絶え間なく継続した年間二ケタの経済成長は、東アジアの中産階級の形成を育んだのである。彼らの形成を見て、白石隆は、「彼らは、アメリカの非公式な帝国の下の波動の中で出現した地域の経済発展の産物であり、半世紀以上にわたり、最初に日本で、次いで韓国、台湾、香港、そしてシンガポールで、さらにタイ、マレーシア、インドネシアとフィリピンで、今は加えて中国で〔成長した〕」と論じている(2004:33)。(東アジアの中産階級については、Chu 2000; Hattori et al. 2002; そしてRobson and Goodman 1996も参照せよ)2。彼ら〔中産階級の〕社会‐経済的なパワーは、輸入された消費品と文化的生産物の需要を恒常的に生み出し、地域の消費主義を活気づけ、その市場を収斂させている。

 同様に文化の領域では、急速な発展が持続的な変化を生んできた。これらの変化の検討が、東・東南アジアにおける大衆文化の発現、実践、そしてインパクトを分析するためのより良い道具を供給する地域的パラダイムへの道を指し示すのではないかと思う。1990年代早期以来の東・東南アジアにおける主要な文化的特徴は、アメリカ、日本、中国、韓国のそれぞれの文化がオーバーラップして流通していることである。同時存在と異なる強度によって、これらは引き続いて文化的な場面とライフスタイルを作り出している。東・東南アジアの大衆は、文化の好みによって選択できる大衆文化の生産物のプールを分かち合っており、アメリカ、日本、中国、韓国、さらにその他の文化的生産物を余剰的に消費し続けている。香港、ソウル、上海、そしてジャカルタの数百万人の若者が、東京からの最新のファッションをむやみに欲しがり、同じジャンルのアメリカのポップミュージックを聴き、DVD やテレビで中国のドラマを視聴して、日本のマンガ本を読み、友人と一緒に最新の韓国映画を見に出かける(Otmazgin 2005)。

 しかしながら、東・東南アジアの文化の流通は選択的でありそれらは、主として都市部の中産階級を巻き込んではいるが、国民の全人口を巻き込んでいるわけではない。文化の流通が、度を越した消費主義と重なり合う結節点として、都市は、我々の理解にとって中心である。(バンコク、香港、ソウル、上海、シンガポール、その他)のアジアの巨大都市は、文化的イノベーション、拡大、そして混交の基盤として働く;これらの都市は、地域内と地域を越えた意識が最高潮に達する場所である。それ故、東・東南アジアでは、我々は、国民国家間のそれよりも、大都市間の重層的相互交渉を語るべきである。

 さらに、メディア制作会社とプロモーターのあいだの地域内での共同制作は、東・東南アジアの文化市場に強いインパクトを持ちつつある。これらのプレイヤーは、ビジネス拡大の新しい機会を探るという点で本質的に投資家的で、その行動は、過去20年間の東・東南アジアのメディア市場の巨大化によって促進されているのである。彼らの活動が、結果的に東・東南アジアの文化市場の拡大を保障し、地域内の協同とつながりを拡張し強めて、「アジア」の心的映像への実質のある文化的内容を供給してきたのである。


映画・音楽とテレビ

 汎アジア的な映画は、分かりやすい実例である。これらは、アジアにはピッタリと合うものの、モチーフは西洋的であることによって、東・東南アジアでは大きな人気を博し、アメリカの市場でも、それには劣るが、そこそこの成功を収めた。Crouching Tiger、 Hidden Dragon、 Hero Jan Dara、 2046、 Initial D、 Musa のような映画は、想定するマーケットも製作も国境を越えていた。そのいくつかは、韓国、中国、香港、日本、そしてタイからの製作スタッフや俳優を含んだ野心的な共同制作であった3。中国、タイ、マレーシアといった場所の廉価な制作コストが制作場所の移転の動機を提供している。地域とグローバルな市場における潜在的な消費者の存在が、東・東南アジア、さらにそれを越えた幅広い範囲の視聴者を含んだ市場戦略を促進している。結果として生じている心的表象は、地域と地域外の視聴者の双方が「アジア」を概念化するやり方に直接的な影響を及ぼしている。

 地域的協働は、同様に音楽とテレビの分野でも起こっており、東・東南アジアの大衆文化の興隆のための水脈を試し、新しい文化様式を作り出している。放送産業よりもさらに、東・東南アジアの音楽とテレビ制作の主要な傾向は、グローバルに拡大することを企てるよりも、むしろ、地域的に展開することである。チャンネルVは、重要なプレイヤーである。それは、アジア版のMTV〔ミュージックTV〕で、東アジアを横断する現象的な人気を享受している。このチャンネルは、ローカルとグローバル〔双方〕のポップ音楽とロック音楽を広範なケーブルテレビの視聴者に紹介し続けている。チャンネルVの音楽番組は、様々な東アジア諸国のアーティストとバンドとのポップ音楽を含む「アジア音楽」として特徴的なものをしばしばカテゴリー化している。ソニー・ミュージック・エンターティメントもまた、汎アジア的音楽のジャンルを作り出す方向に働いているのである。2004年には、日本、香港、台湾、韓国のアーティストを含む2つのポップ・ミュージックコレクションをプロデュースした。このアルバムの成功は、2005年にタイの音楽を含む新しいアルバムの制作の動機となった4。

 テレビの分野では、〔いまだ〕ほんの2,3の国境を越える連合が実現しただけである;しかしながら、高額な制作費が多くの国境を越えた制作の企画を  遅らせており、それらを萌芽的な段階に留めている。存在している数少ない企画の重要性は、全体的にみれば、企業的な調査と、文化的生産のノウハウの結果的移転にある。国境を越えたテレビ放送においては、スターTVは、近年ではアジア最大の投資家であり、広範な種類のエンターティメント、ニュース、スポーツチャンネルを有し、中国からインドに至る範囲の3億の消費者のプールを作り出しつつあるのである。その戦略は、内容をローカルなものにし、アジアの言語、特に北京官語で放送することを好んでいる(Sinclair 1997)。

 日本の音楽会社とテレビ会社もまた重要なプレイヤーである。投資家精神と、ローカルな需要にせきたてられて、少数だが、段階的に東アジアの市場を探っている。例えば、ポニーキャニオンとエイベックス・トレックスは、日本の6大音楽会社のうちの二つで、各国の会社とのライセンス協定から、自らの支社を開設する方向へ動いて、東アジアのメディア市場への進出を拡張し深化させている。テレビ業界では、アミューズ、ロージャム、フジテレビ、そしてJETテレビが特筆に値する。1990年代には、これら各社は、しばしば日本の規格に基礎を置いたテレビ放送と番組制作に参加しており、各国の会社やメディア組織との紐帯を築きつつある。これらの日本の各社は、日本の音楽とテレビ番組を市場化するだけではなく、東アジアの各国の文化産業から実例とお手本として見なされてきている。

 これらは、過去二、三十年間の東・東南アジア地域の文化の現場に見られた発展のうちの2、3に過ぎない。これらは、広範な東・東南アジアの都市中産階級が共有している、文化的生産物と機会の多様性の幅広い領域の中に、新しい現実を創り出してきている。これらの中産階級は、多様な収入の格差と異なった空間的場所にはめ込まれているとはいえ、全体ではなくとも、その多くの部分が、類似したレベルの消費の生活様式を手に入れられるようになっている。今日の、中国、マレーシア、そしてインドネシアの都市中産階級は、ソウル、シンガポール、そしてバンコクの彼らの同胞と同様の文化的アクセスと好みを熱望できるのである。

 総体として、東・東南アジアにおける市場とコミュニティは、経済、社会、そして文化的な力の結果として収斂しつつある。この地域の諸都市を通じて、特に、大衆文化の市場と協同のメカニズムは既に建設されて存在しているし、ダイナミックな地域的な文化の融合を分析する、根拠のある推論と概念的な空間では、その過程の中に位置している。大衆文化の流通をこの照明の下で検討してくことは、明示的であれ暗示的であれ、均質化を強調するグローバル関係のディスコース〔言説〕(とレトリック)よりはるかに詳細で間違いが無い。ローカルで地域的な特殊性に配慮する地域的なパラダイムは、この地域における文化の流通に理解にもっと有効であろう。

 

Nissim Kadosh Otmazgin is a Ph.D. candidate at Kyoto University researching the political economy of Japanese culture in East and Southeast Asia.

Kyoto Review of Southeast Asia Issue 8/9 (March/October 2007)
© Center for Southeast Asian Studies, Kyoto University


Army of Kitty-chans in Hong Kong, April 2004

Japanese-style costplay in Seoul,
March 2005

1 Questionnaire surveys and interviews were conducted by the author among 239 university students in Hong Kong (June 2004), Bangkok (February 2005), and Seoul (April 2005). The questionnaires included 19 open-ended questions and 2 multiple-choice questions. I asked about the students’ cultural consumption patterns in general and their consumption of Japanese popular culture in particular, and about their attitude and opinions regarding various aspects of Japan’s society and state. I am grateful to Dr. Ubonrat Siriyuvasak (Chulalongkorn University) and Dr. Shin Hyun Joon (Sungkonghoe)Japanese-

2 In these works, East Asian middle classes are generally classified as educated and working as professionals, technicians, clerks, managers, business executives, engineers, and accountants, for example.

 

 

 

 

 

 

 

3 See coverage of these movies in Newsweek, 21 May 2001, 15 December 2004, and Special Edition, July-September 2001; and Time, 21 January 2002.

4 The Sony Music Entertainment regional office in Hong Kong has been strategically encouraging its branches in East Asia to produce constellation albums that include transnational collaboration of music artists. Interviews in Bangkok and Seoul, February and April 2005.

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Kyoto Review of Southeast Asia Issue 8/9 (March/October 2007)